甲府地方裁判所 昭和48年(ワ)257号 判決 1996年3月05日
原告
松宮英雄
右訴訟代理人弁護士
荒川良三
被告
国
右代表者法務大臣
長尾立子
右指定代理人
大原哲三
外四名
被告
楠立雄
同
亡藤岡由雄承継人
藤岡
(以下「藤岡みよ」という。)
同
亡藤岡由雄承継人
藤岡和夫
同
亡藤岡由雄承継人
藤岡文夫
同
亡藤岡由雄承継人
藤岡篤夫
同
亡藤岡由雄承継人
堀光子
右七名訴訟代理人弁護士
鶴田和雄
主文
一 被告国は、原告に対し、金五八七五万〇八三四円及びこれに対する昭和四五年四月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その二を被告国の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 右第一項は仮に執行することができる。ただし、被告国は、金二〇〇〇万円を供するときは、右執行を免れることができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは、原告に対し、各自、一億五七五六万五四三五円及びこれに対する昭和四五年四月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、国立山梨大学(以下「山梨大学」という。)の学生であった原告が、同大学の実施した昭和四五年度春季定期健康診断(以下「本件健康診断」という。)の受検科目の一つである脚力測定(以下「本件脚力測定」という。)を、同大学備え付けの脚力測定器械(以下「本件器械」という。)によって受検した際、左大腿骨頸部内側骨折の傷害(以下「本件傷害」という。)を負った(以下「本件事故」という。)として、被告らに対し、国家賠償法一条、二条、民法四一五条、七〇九条、七一五条に基づき損害の賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 当事者
原告は、昭和二二年六月二八日出生し、昭和四二年四月山梨大学工学部機械工学科に入学し、昭和四五年四月二三日当時、同学科四年生であった。
被告国は、山梨大学を設置し、これを管理するものである。
被告楠立雄(以下「被告楠」という。)は、その当時、山梨大学教育学部芸術体育学科体育科所属の助教授であり、本件健康診断において本件脚力測定を担当していた。
亡藤岡由雄(以下「亡藤岡」という。)は、その当時、山梨大学学長の職にあったが、その後、死亡し、その妻である被告藤岡みよ、その子である同藤岡和雄、同藤岡文夫、同藤岡篤夫及び同堀光子(以下「被告藤岡ら」という。)が、相続により同人の地位を承継した。
2 本件事故の発生
(一) 本件器械の構造
本件器械は、断面一〇センチメートル四方、長さ一六二センチメートルの鉄製横柱を主軸とし、その一端に背板及び鉄製アームを設けた座席が固定され、他端に油圧装置を用いた計器とこれに接続する鉄板(以下「踏板」という。)が取り付けられ、踏板の下部には左右二個の鉄製足掛けが取り付けられた構造となっている。
(二) 本件脚力測定は、測定を受ける者(以下「被検者」という。)が、本件器械の座席に座り、両膝を屈曲させた状態で両足裏を踏板に接触させ、両脚を伸展して両足裏で踏板を押し、その力を踏板に接続する計器によって測定する方法により、連続して二回行われた。
(三) 原告は、昭和四五年四月二三日午後四時ころ、本件健康診断に参加し、右(二)の方法により一回目の脚力測定を受けた。その後、原告は、被告楠から指示を受け、姿勢等を直されてから、二回目の測定を受けた際、本件傷害を負った。
二 争点
(原告の主張)
1 本件事故の原因
(一) 本件器械は、被検者が両脚で踏板を押した場合、座席が主軸に固定されていて全く移動せず、また踏板もほとんど移動しない構造となっている。このような構造の下では、膝を屈曲させた姿勢で踏板を押した場合、被検者の大腿骨頸部には踏板を押す力の三倍から四倍以上の力が加わることになる。
(二) 通常、股関節が力を支える場合、関節と周辺の筋肉とが相まって力を支えており、関節そのものよりむしろ周辺の筋肉がほとんどの力を支える役目をしている。しかし、本件器械における座位姿勢で踏板を押した場合、股関節は積極的に脚伸展せず、むしろ固定的な働きをしているに過ぎないため、股関節周辺の筋肉はほとんど動かない。このような場合、股関節、特に大腿骨頸部に力が直接作用し、右のように骨と筋肉との協調作用を前提としている骨の形状、構造、機能からして極めて異常な力や応力や歪みが大腿骨頸部に作用する。
(三) 本件器械における膝を屈曲させた座位姿勢にあっては足関節、膝関節、股関節が同一直線上にないため、踏板からの反力が大腿骨頸部に曲げや捩じりの力となって作用する。
(四) 本件脚力測定においては、両脚で本件器械の踏板を押すため、両脚の脚力の大きさがそれぞれ異なるのに応じ、踏板からの反力の大きさが左右不均衡となり、一方の大腿骨頸部に過大かつ異常な力が作用する。
(五) 本件器械には、踏板に足形が明示されていないため、被検者の両足で踏板を押す位置及び足の置き方によっては、両大腿骨頸部に作用する踏板からの反力の大きさ、種類が左右不均衡になり、一方に過大かつ異常な力が作用する。
(六) 本件器械のように計器に油圧装置を用いた場合、踏板の押し方によっては、油圧装置内の油の圧縮による反作用としてショック性のある反力が発生し、これが大腿骨頸部に作用する。
(七) 本件器械の使用によって、右(一)ないし(六)のような力が被検者の大腿骨頸部に作用し、解剖学的、材料学的に弱点を有する大腿骨頸部に骨折を生じる危険があり、本件器械には、一般の健康診断における脚力測定のための用具としては、重大な欠陥があった。
本件事故は、原告が本件脚力測定を受けた際、本件器械の右欠陥により発生したものである。
2 被告楠の責任(民法七〇九条)
(一) 被告楠は、昭和二四年以降、山梨大学の教官として体育実技を担当する傍ら、体力測定についての研究を行い、昭和二八年ころ、本件器械のような測定器械を考案、設計、製作し、昭和二九年ころから山梨大学の行う一般学生を対象とする健康診断における脚力測定器械としてこれを使用させる一方、自らの研究のためにこれを使用して脚力に関する研究を行ってきた。
当初、被告楠が考案した脚力測定器械は、計器がスプリング式で、かつ、被検者の脚長の長短に応じ座席の位置を調節する方式のものであったが、その後、被告楠は、計器を油圧装置とするものに、次いで、座席を固定し、踏板と座席との距離の調節は踏板を移動して行う方式のものにそれぞれ変更し、昭和三九年ころ、右脚力測定器械を原型とする本件器械を考案、設計、製作し、以後本件事故発生に至るまで、本件器械を、山梨大学における定期健康診断の脚力測定器械として使用させ、また、自らの脚力測定の研究に使用してきた。
なお、被告楠は、本件器械について、昭和三一年に特許出願をし、昭和三四年に特許を受けた。
(二)(1) 右のとおり、被告楠は、体育学専門の国立大学教官であり、身体運動学についての知識を十分に有し、本件器械及びその原型となった脚力測定器械を考案し、設計、製作し、昭和二九年ころから山梨大学における定期健康診断の測定用具として使用させ、かつ、これらを管理する一方、自らの研究のためこれらを用いて脚力に関する研究活動を行ってきた者である上、過去の山梨大学の定期健康診断において、本件器械を使用した際に、被検者が腰を傷めたり、筋肉痛を訴えた例があることを知っていたことなどから、本件事故当時、本件器械には前記1の欠陥が存し、本件器械を使用するときは被検者の身体に傷害を与える危険があることを十分に知悉していたにもかかわらず、自己の研究を優先させる余り、敢えて本件健康診断において本件器械を使用した結果、原告に本件傷害を負わせたものである。
(2) 仮に、被告楠が、本件事故当時、本件器械の前記1の欠陥を知らなかったとしても、本件健康診断の脚力測定担当者であり、かつ、体育学専門の大学教官及び体力測定の研究者として、本件器械を山梨大学における健康診断の用具として使用させ、また、自らこれを使用して脚力測定を行っていたものであるから、本件器械を考案、設計、製作するに当たっては勿論、その製作後においても、脚伸展が多大な力を発揮することに思いをいたし、運動生理学、解剖学、整形外科学などの医学、力学、生体工学、人間工学の各見地から、本件器械を使用した際、踏板からの反力が被検者の身体に与える影響及び右反力が被検者の身体に危害を及ぼす危険性の有無を調査、研究し、その安全性、無害性を検討すべき注意義務があり、その結果、いささかでも被検者の身体に損傷を与える危険性があることが判明したときは、直ちにその使用を中止し、また、敢えてこれを使用するときは、被検者に対し、本件器械の構造、目的、使用方法及び前記の欠陥の存することを十分に説明し、理解させ、その使用に当たっては、踏板の押し方に注意することはもちろん、腰の掛け方、踏板を押す足の位置、鉄製アームの持ち方、膝の屈曲角度などを適切に指導し、また、事前に準備運動を行わせ、かつ、連続して二回測定することのないよう指導、助言するなどして事故防止のための措置を十分に講じ、もって、右危険から生じる事故の発生を未然に防止する義務があった。
被告楠は右注意義務を怠り、右の調査、研究を尽くすことなく、漫然と本件器械を考案、設計、製作し、かつ、本件器械について何らその安全性、無害性を検討しないで、山梨大学における定期健康診断に使用させ、また、自らの研究のために使用してきたことから、本件器械の前記欠陥に気づかないまま本件脚力測定においてこれを使用し、しかも使用に当たって前記のような説明指導を行わなかった過失により、原告に本件傷害を負わせたものである。
そして、本件器械の前記欠陥は、被告楠が前記各専門分野における著作、文献を調査し、各専門家の意見を徴し、自らも各種実験をし、また、過去の使用例における被検者の体験結果を調査分析するなどして研究を重ねたならば容易にこれを発見しえたものである。また、大学における定期健康診断においては、脚力測定は一般に行われておらず、これを検査項目とする必要性、有用性はほとんどなく、特に本件脚力測定のように座位姿勢における脚力を測定する必要性は全くないにもかかわらず、被告楠は、自己の研究発表の資料を獲得する目的で本件脚力測定を行った。本件脚力測定が国立大学の一般学生を対象とし、しかもその受検が義務付けられている定期健康診断において行われたことからすれば、被告楠の右過失は重大である。
(三) よって、被告楠は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
3 亡藤岡の責任(民法七〇九条)
(一) 亡藤岡は、本件事故当時、山梨大学の学長として本件健康診断を実施、運営する責任者の地位にあった。
(二) 右責任者としては、本件健康診断を実施するに当たっては、検査項目の必要性を検討するとともに、検査の場所、時刻、順序及び測定用具の安全性について十分検討し、かつ、事前に担当教職員に対して準備運動を実施し、測定方法に過誤のないよう指示を与えるなどして、検査の実施に伴う事故の発生を未然に防止する注意義務があった。
亡藤岡は、本件健康診断の実施に当たり右注意義務を怠り、一般学生の健康診断の検査項目としては何ら必要性、有用性のない脚力測定をその検査項目に加えるとともに、当時まだ一般に普及しておらず、その安全性及び無害性について何ら検討、確認がされていない本件器械を測定用具として使用させたばかりか、右測定の担当者であった被告楠に対して、何ら危険防止に関する注意を与えず、本件脚力測定に関して一切を被告楠の恣意に任せたまま本件健康診断を実施、運営した過失により、原告に本件傷害を負わせたものである。
(三) よって、亡藤岡は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
4 被告国の責任
(一) 国家賠償法一条
(1) 本件健康診断は、学校保健法六条に基づき山梨大学がその教育活動の一環として行ったものであるから、国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたる。
(2) 本件事故は、前記2、3のとおり、本件健康診断において本件脚力測定を担当した被告楠の故意又は過失及び本件健康診断を実施運営した亡藤岡の過失によって生じたものであるから、被告国は、国家賠償法一条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
(二) 国家賠償法二条
(1) 本件器械は山梨大学が行う定期健康診断の測定器械として使用されていたのであるから、被告国の設置、管理に係る物品であり、国家賠償法二条にいう公の営造物にあたる。
(2) 本件器械は、測定用具として通常有すべき安全性を備えたものでなければならないところ、右器械は一般学生を対象とし、受検を義務づけられた定期健康診断に用いられる物であるから、その安全性は一層厳格に備わっていなければならないというべきである。しかるに、本件器械には、前記1のとおりその構造上重大な欠陥があり、これを通常の用法に従って使用した場合においても被検者の身体に損傷を与える危険があったものであるから、本件器械の設置、管理には瑕疵があったというべきである。
(3) 本件事故は、右瑕疵の存在により生じたものであるから、被告国は、国家賠償法二条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
(三) 安全配慮義務違反
(1) 被告国が、原告に山梨大学への入学を許可し、原告がその入学手続を了したことにより、被告国と原告との間に在学契約が成立したから、右契約に基づき、被告国は、原告に対し、山梨大学の行う教育活動の場において原告の生命、身体に危険が生じないよう万全の注意を払い、その安全を配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負った。
仮に、在学契約によって右のような義務が発生しないとしても、被告国は、その設置する山梨大学の学生である原告に対し、教育目的達成のため必要な管理権を有しているのであるから、信義則上、被管理者である原告に対する安全配慮義務を負っていた。
(2) そして、本件健康診断は、山梨大学が、学校保健法六条に基づき、教育活動の一環として行ったものであり、しかも、学生全員にその受検を義務づけていたものであるから、被告国としては、右安全配慮義務の履行として、本件健康診断の実施に当たって、
① 検査項目については、健康診断の本来の目的である学生の健康の維持、増進に必要かつ有益な項目を設定し、
② 検査に使用する測定機器、用具については、一般的、かつ、安全性の保証されたものを使用し、
③ 右測定機器、用具の使用に当たっては、被験者に対し、その構造、危険性の有無、使用方法、使用上の注意事項を十分説明し、
被検者たる学生の生命、身体に危害を生じることがないよう配慮すべきであった。
(3) 被告楠は、山梨大学の助教授として、また、亡藤岡は、同大学の学長として、原告に対する教育活動を行っていたもので、いすれも被告国の右安全配慮義務の履行補助者としての地位にあった。
被告楠及び亡藤岡は、前記義務を怠り、一般の健康診断としては必要性も有用性もない本件脚力測定を、本件健康診断の検査項目に加えたばかりでなく、その測定用具として、一般に普及しておらず、その安全性が全く確認されていない本件器械を安易に使用し、また、その構造、安全性、使用方法、目的、使用上の注意について被検者である原告に全く説明することなく、本件脚力測定を実施したため、原告に本件傷害を負わせた。
(4) よって、被告国は、右安全配慮義務違反により、民法四一五条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
(四) 使用者責任
(1) 仮に本件健康診断の実施が前記(一)の公権力の行使にあたらないとしても、被告楠及び亡藤岡は、被告国の被用者である。
(2) 本件健康診断は、山梨大学が、学校保健法六条に基づき、その教育活動及び学校行事の一環として実施したものであるところ、亡藤岡は、その実施、運営の最高責任者であり、被告楠は、その検査項目の一つである本件脚力測定を担当していたものである。
(3) 本件事故は、前記2及び3のとおり、職務を行うについての被告楠の故意又は過失及び亡藤岡の過失によって生じたものである。
(4) よって、被告国は、民法七一五条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
5 本件事故後の経緯
(一) 治療経過
原告は、本件事故後、箭本医院において診察を受け、次いで、国立甲府病院(以下「甲府病院」という。)において診察を受け、直ちに同病院に入院した。
原告は、昭和四五年四月二七日、甲府病院を退院し、翌二八日、広島大学付属病院(以下「広大病院」という。)に入院し、同年五月一一日手術を受けた。原告は右手術後、同年八月下旬ころまでの約三か月間はベッドの上で起き上がることができなかった。
同年一二月、レントゲン撮影の結果、原告の左大腿骨骨頭の部分に骨吸収が生じ、骨頭が凸凹に変形する症状が生じていることが判明した。これは本件傷害の結果、骨頭への血液の流れが阻害され、栄養が十分に補給されないことから骨が死ぬ(無腐性壊死)に至ったものであるが、原告の大腿骨骨頭は、完全壊死には至らず、変形は進んだものの、最終的には部分的な壊死に止まった。
原告は、昭和四六年五月一五日、広大病院を退院し、同年五月一八日ころから、山梨大学に通学を始めた。
その後、原告は、昭和四八年七月一二日、大腿骨頸部骨折部分を固定するために使用されていた内副子の除去をするため、広大病院に再入院し、同月一六日手術を受け、同月二五日退院した。
(二) 後遺障害
本件傷害の症状は
(1) 二次性変形性股関節症(左大腿骨頸部骨折後変形性股関節症)及び左股関節不全強直
(2) 左下肢の短縮(約一センチメートル)
の後遺障害を残して固定した。
右各後遺障害のため、原告は歩行に際しては跛行する状態にあり、また、下肢を用いる運動はもとより各種運動等日常生活全般に渡って不自由しているのみならず、左股関節変形部位及び手術による瘢痕に疼痛を覚え、また、左股関節機能不全により左股関節周辺の筋肉痛は勿論のこと、そのため、脊椎、右脚が代償作用をする結果、脊椎の周りの筋肉及び右脚の膝関節付近にすら時折わずかな疼痛を覚える。
(三) 上気道感染症、慢性扁桃腺症
原告は、本件傷害治療のため、広大病院に入院中、昭和四六年三月ころ、上気道感染症、慢性扁桃腺症(以下「耳鼻咽喉科疾患」という。)に罹患していることが判明した。
右疾患は、本件傷害のショック、生活環境の急激な変化、長い入院生活による体力の低下が原因となって発病したものであり、本件事故との間に相当因果関係がある。
耳鼻咽喉科疾患自体は、治癒ないし軽快したが、その結果、原告には慢性扁桃腺炎の後遺症が残った。
(四) 急性湿性胸膜炎、肺結核症
原告は、昭和四七年三月、急性湿性胸膜炎、肺結核症(以下「胸部疾患」という。)に罹患していることが判明し、昭和四七年三月一一日及び同月一三日竹居医院において診察を受け、同日から同年五月二三日まで、甲府病院内科において入院治療を受け、同月二五日、広大病院内科において診察を受けた後同日から同年一二月三〇日まで吉島病院において入院治療を受けた。
原告は、吉島病院を退院後、昭和四八年一月一一日から同年四月一一日まで、二三回、広島市民病院において通院治療を受け、昭和四八年四月二五日から昭和五二年九月末ころまで甲府病院において二四回通院治療を受けた。
右疾患は、本件傷害のショック、生活環境の急激な変化、長い入院生活による体力の低下に加えて、本件事故に対する被告らの対応の無責任さへの怒り、留年、就職不能となったことの絶望感、本件傷害による後遺症への不安感など、本件事故によって受けた肉体的、精神的苦痛が原因となって発病したものであり、本件事故との間に相当因果関係がある。
胸部疾患の結果、原告には、左胸部内に胸膜の癒着を残し、心臓が多少外側に引っ張られているという後遺障害が残り、また、心身の状態及び季節、気候の変化によって、時折、胸部に疼痛を覚えることがある。
(五) 就学及び就職上の影響
原告は、本件傷害により長期の入院治療を要したため、昭和四五年一〇月、山梨大学に休学届けを提出し、半年間休学した。原告は、昭和四六年五月一八日ころ、山梨大学に復学したが、右休学のため、一年留年することとなり、これに伴い昭和四六年春卒業とともに就職する希望も断念せざるを得なくなった。
原告は、昭和四七年春の卒業及び就職を目指したが、本件傷害による後遺障害のため就職できず、やむなく、昭和四七年四月から山梨大学大学院工学研究科に進学することにした。
ところが、原告は、同年三月、胸部疾患のため長期の入院治療を要することとなったため、同年四月から、同大学院を休学することを余儀なくされた。
原告は、胸部疾患が治癒ないし軽快した昭和四八年四月から同大学院に復学したが、右休学により、修了が一年間遅れる結果となった。
また、原告は、同大学院修了後も、本件傷害による後遺障害により、原告の年齢、経歴に見合う適切な就職先を見つけることができず現在に至っている。
6 損害
(一) 治療費 六七万一七九五円
原告は、本件傷害、耳鼻咽喉科疾患及び胸部疾患の治療のため、別表1のとおり入通院し、合計六七万一七九五円の治療費を支出した。
(二) 入通院のための交通費 一五万九九六〇円
原告は、右入通院のため、別表2のとおり、合計一五万九九六〇円の交通費を支出した。
(三) 病院外で購入した薬代及び温泉治療費 三万五九九三円
原告は、本件傷害の治療のため、別表3のとおり、合計三万五九九三円の薬代及び温泉治療費(交通費を含む。)を支出した。
(四) 医師等への謝礼 三万五六八八円
原告は、本件傷害及び胸部疾患の治療を受けた各病院の医師及び看護婦への謝礼として物品を贈り、別表4のとおり、合計三万五六八八円を支出した。
(五) 入院諸雑費 六九万六〇〇〇円
原告は、本件傷害及び胸部疾患の治療のため合計六九六日間入院し、入院日数一日につき一〇〇〇円、合計六九万六〇〇〇円の諸雑費を必要とした。
(六) 入院付添看護料 一一四万七〇〇〇円
原告は、入院中、合計一九四日間、原告の母松宮千鶴子の泊まり込みの付添看護を受け、合計二三四日間、同人の通いの付添看護を受けた。
右付添看護料は、泊まり込みの付添看護については、一日三五〇〇円、通いの付添看護については、一日二〇〇〇円が相当であるから、合計一一四万七〇〇〇円となる。
(七) 入院付添及び通院時の付添の交通費 八万二五二〇円
(1) 入院付添の交通費 四万〇〇八〇円
松宮千鶴子は、右(六)の入院付添看護のため、別表5記載一のとおり、交通費として、合計四万〇〇八〇円を支出した。
(2) 通院付添の交通費 四万二四四〇円
① 原告は、甲府から広大病院へ通院するに当たり、長期入院療養生活の直後であり、一本杖を使用しなければならなかったことから、付添を必要とした。
松宮千鶴子は、右通院時の付添のため、別表5記載二1のとおり、交通費として、合計二万〇〇二〇円を支出した。
② 原告は、甲府病院から広大病院へ転院するに当たり、胸部疾患と本件傷害による股関節の機能障害を有していたことから、付添を必要とした。原告の両親は、右転院時の付添のため、別表5記載二2のとおり、交通費として、合計二万二四二〇円を支出した。
(八) 本件傷害治療のための広大病院との打合せ通信費 一一八〇円
(九) 休学及び留年による支出費用等の損害 三万七三八四円
(1) 留年による授業料等損害 二万八八〇〇円
① 山梨大学関係費用 六六〇〇円
② 山梨大学大学院関係費用 二万二二〇〇円
(2) 休学及び復学手続費用 八三八九円
別表6のとおり。
(3) 欠席届手続費用 一九五円
(一〇) 慰謝料 八五〇万円
(1) 本件傷害及び耳鼻咽喉科疾患についての慰謝料 六〇〇万円
(2) 胸部疾患についての慰謝料 二五〇万円
(一一) 後遺障害慰謝料 九七〇万円
本件傷害による後遺障害は、労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級表の第八級第九号及び第一三級第八号に該当し、これを併合すると同表第七級の障害に相当する。
本件傷害による後遺障害についての慰謝料は、九五〇万円、耳鼻咽喉科疾患及び胸部疾患による各後遺症についての慰謝料は各一〇万円が相当である。
(一二) 逸失利益 一億二二九二万七〇〇〇円
(1) 原告は、本件事故がなければ、満二三歳一〇か月となった昭和四六年四月、一流民間企業に就職し、以後、同企業を定年退職後も他の民間企業に再就職し、或いは、自営業を営むなどして、満七八歳で死亡するまで、毎年少なくとも大学卒業者男子の年齢別平均年間給与額を下らない収入を得ることができたほか、満六〇歳となる平成一九年には、大学卒業者男子の定年退職者の平均退職金額を下らない退職金収入を得ることができるはずであったが、本件事故により、昭和四六年四月から昭和五〇年三月まで就労することができず、また、前記後遺障害により、将来に亘り労働能力を五六パーセント喪失した。
(2) 昭和四六年から平成五年までの間に原告の得るべき給与額は、労働省統計調査部編の当該各年の賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、男子労働者、旧大新大卒の年齢階層別の年間給与額に基づき、原告の得るべき給与額を算定すると、別表7の年間給与額欄記載のとおりとなる。
平成六年以降、原告が満七八歳となる平成三七年までの大学卒業者男子の年齢別平均年間給与額は、今後の賃金上昇を考慮して、平成五年における満四六歳の大学卒業者男子の平均年間給与額を基準とし、平成六年から原告が満五〇歳となる平成九年までは、毎年前年比七パーセント増額した額、平成一〇年から原告が満五七歳となる平成一六年までは、毎年前年比三パーセント増額した額、平成一七年から原告が満六七歳となる平成二六年までは前年と同額、原告が満六八歳となる平成二七年は前年比二〇パーセント減額した額、原告が満六九歳となる平成二八年以降は前年と同額と見るのが相当である。
(3) また、大学卒業者男子の定年退職者の平均退職金は、労働省統計情報部編「退職金制度の実態と解説」昭和五四年版第二部昭和五三年退職金制度調査結果統計表第一六表によれば、退職一時金、年金を併給する企業の企業規模計、調査産業計、旧大新大卒(管理、事務、技術労働者)男子の場合、退職一時金が退職直前の所定内賃金月額の24.3か月分であり、退職年金の退職時における現価額同月額の12.8か月分であるところ、原告が満六〇歳となる平成一九年における満六〇歳の大学卒業者男子の所定内賃金月額は、前記の年間給与額の場合と同様の理由により、平成五年における満四六歳の大学卒業者男子の所定内賃金月額五二万七八〇〇円(平成五年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、旧大新大卒男子労働者の所定内給与額)を基準とし、平成六年から平成九年までは毎年前年比七パーセント増額し、平成一〇年から平成一六年までは前年比三パーセント増額し、平成一七年から平成一九年までは前年と同額として計算した八五万円(計算式527,800×1.074×1.037≒850,000)が相当であるから、平成一九年における満六〇歳の大学卒業者男子の定年退職の平均退職金は、右所定内賃金月額八五万円に前記退職一時金及び退職年金現価額の各支給月数合計37.1か月を乗した三一五三万五〇〇〇円である。
(4) したがって、原告の就労不能及び労働能力喪失による各逸失利益は、次のとおりである。
① 就労不能による逸失利益
昭和四六年から昭和四九年三月までの各平均年間給与額につき複式ホフマン方式により年五パーセントの中間利息を控除した本件事故当時の各現価額(別表7の昭和四六年から昭和四九年までの各現価額欄記載の金額)の合計四四八万七〇〇〇円
② 労働能力喪失による逸失利益
昭和五〇年以降平成三七年までの年間給与額及び前記の退職金額につき、複式ホフマン方式により年五パーセントの中間利息を控除した本件事故当時の現価額(平均年間給与額については別表7の昭和五〇年以降の各現価額欄記載の金額であり、退職金額については一〇八七万四〇〇〇円(計算式31,535,000×0.34482579≒10,874,000)である。)の合計二億一一五〇万円の五六パーセントに当たる一億一八四四万円
(一三) 示談交渉のために要した費用 二万〇九一五円
(一四) 弁護士費用 一三五五万円
(被告らの主張)
1 本件事故の原因について
(一) 原告の主張1の(一)のうち、本件器械の座席、踏板がほとんど移動しない構造になっていることは認めるが、踏板を押した場合、被検者の大腿骨頸部に押した力の三倍から四倍の力が加わることは否認する。
(二) 同(二)ないし(四)は否認する。
(三) 同(五)のうち、踏板に足形が明示されていないことは認めるが、その余は否認する。
(四) 同(六)は争う。油圧装置による押し返しはほとんどなく、原告が主張するような反力は生じない。
(五) よって、本件機械は、その構造上欠陥を有しているとはいえず、安全性を欠くものではない。
2 被告楠の責任について
被告楠は、本件器械の製作に当たり、
① 油圧計を用いて機械的反動を防止する
② 耐久性、堅牢性に配慮して鋼材を使用する
③ 被検者の脚長に応じ、膝関節の角度を調節するための螺旋式送り装置を使用する
④ 膝関節が伸展しきらないように、伸展防止装置を主軸に設置する
⑤ 両脚に均等な力を発現させるように、踏板が主軸上を垂直の位置を保持して平行移動するように設計、製作する
など、安全性を十分考慮し、また使用に際しては長期にわたる予備実験や調査を行い、危険性がないことを確認して脚力測定を実施したのである。
また、脚力は、運動遂行能力と密接な関係を有するもので、その脚力を測定することは十分意義及び必要性があり、被告楠は、被検者に対し、状況に応じて説明を行い、測定の状態を常に観察し、方法に不適切な点があればこれを正し、注意を与えていたもので、本件脚力測定時においても、原告に対し本件器械の構造や方法を十分説明した。
よって、被告楠に、本件器械の考案、設計及び製作並びに本件脚力測定の実施につき故意又は過失はない。
3 亡藤岡の責任について
前記のとおり、本件器械には、その構造上何ら欠陥はなく、本件脚力測定に危険性はなかったから、本件健康診断を実施した亡藤岡に過失はない。
4 被告国の責任について
(一) 国家賠償法一条、安全配慮義務違反、使用者責任に基づく各請求については、前記2、3のとおり被告楠及び亡藤岡に故意又は過失はない。
(二) 営造物が通常有すべき安全性を備えているかどうかは、その物の構造、用法、目的等に照らし具体的客観的に判断されるもので、絶対的な安全性までが必要とされるのではない。
前記のとおり、本件器械には構造上の欠陥はなかった上、被告楠は、昭和二九年から、本件機械を用いた脚力測定を行ってきたが、それまで、何ら事故の発生はなかったことからすれば、本件器械には通常有すべき安全性が備わっていたもので、その設置、管理に瑕疵はなかったということができる。
(三) 本件事故は、不可抗力により発生した。
第三 当裁判所の判断
一 本件事故に至る経緯
証拠(甲二九、三二、三三の一及び二、六四の一ないし六、一七九、一九九、二〇〇、二〇三、乙一ないし三、証人和田、原告本人(第一回)、被告楠本人、検証(第一、二回))によれば、以下の事実が認められる。
1 本件器械は、被告楠が、昭和四〇年ころ、自ら考案した脚力測定装置に改良を加え、文部省からの科学研究費の交付を受け、製作したものであって、被告楠は、これを健康診断における脚力測定に使用していた。なお、同被告は、昭和三一年に本件器械について特許出願をし、同三四年特許を受けた。
本件器械は、鉄製横柱を主軸とし、その一端に背板と鉄製アームを設けた座席が固定され、他端に油圧装置を用いた計器とこれに接続する踏板が取り付けられ、踏板の下には左右二個の鉄製足掛けが取り付けられ、座席と踏板の間に角材が設置された構造となっており、右座席と踏板の距離はハンドルで調節することができ、両足の膝関節の角度が変えられるようになっている。本件事故発生当時、座席には座布団が置いてあり、踏板には、両足を置く位置の表示はなかった。
本件脚力測定は、被検者が、まず本件器械の座席に座位姿勢となり、両膝関節を約一三〇度屈曲させた状態で両足の裏を踏板に接触させ、両脚を伸展して全力で踏板を前方に押すという方法で行われ、このとき発現した力は踏板に接続しているシリンダーによって計器に重量として表示され、脚力が測定される。
2 原告は、昭和四五年四月二三日、山梨大学体育館内において、本件健康診断に参加し、その受検科目の一つである本件脚力測定を受けた。その当時、原告には特に健康に異常があることを窺わせる兆候はなかった。
原告は、本件器械の座席にやや浅く腰掛けて座り、両腕を座席両脇の鉄製アームの外に垂らした。その場に立ち会っていた被告楠が本件器械のハンドルを回し、踏板の位置を変更して膝の角度を調節し、第一回目の測定を行った。右の測定の際は、原告の脚部、股関節等に何ら異常は発生しなかった。
引き続き、原告は、第二回目の測定に入ったが、第一回目の測定終了直後、被告楠からもっと深く腰を掛け、両手で鉄製アームを持つようにとの指示を受けた。そこで、原告は、被告楠の指示どおり座席に深く腰掛け、両手で右アームを軽く掴んだところ、被告楠から、両手で右アームの前方上部を外側から握るよう指示され、さらにアームを握る位置をやや下方に変えさせられ、結局右アームの前方中央部付近を外側から握る形で、測定を開始した。原告は、曲げていた両脚を伸展させて、両足で踏板を押していき、最後に力一杯踏板を押したところ、左臀部付近で音がし、左脚に痛みが生じて独力で起立することができなくなった。
二 被告楠及び亡藤岡の責任
被告楠及び亡藤岡が公務員であること、本件健康診断は、学校の教育活動の一環として行われたものであり、公−権力の行使にあたることについて当事者間に争いはないところ、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意または過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人は責任を負わない(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決、同昭和四六年(オ)第六六五号同四七年三月二一日第三小法廷判決等参照)から、被告楠及び亡藤岡に原告主張の故意又は過失があったとしても、両名は損害賠償責任を負わず、したがって、被告楠及び被告藤岡らに対する請求は理由がない。
三 被告国の責任
1 争いのない事実及び前記認定事実によれば、本件器械は、山梨大学が設置及び管理をし、同大学の学生を対象とした定期健康診断に用いられていると認められるから、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」にあたるというべきである。
2 そこで、本件器械の設置又は管理に瑕疵があったかどうかについて検討する。
(一) 証拠(甲二六、二七の一及び二、二八の一及び二、三一、六三、一九七、二一七、乙三の一及び二、四、証人和田、同古澤、同井口、原告本人(第一回)、被告楠本人、鑑定人古澤及び同村上の各鑑定)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 本件傷害は、大腿骨頸部の内側骨折であり、内転骨折である。このような骨折の原因は、一般的には、骨そしょう症等による骨の脆弱化、疲労骨折、電気ショックなどであるが、自家筋力、すなわち、一時的に通常以上の筋力を発生させたり、拮抗する筋肉の両方が痙攣のように爆発的な収縮を起こした等の場合にも大腿骨頸部骨折が起きることがある。そして、自家筋力が、本件傷害の主な原因と考えられる。
(2) 大腿骨頸部に負荷を加えて骨折を起こす実験では、平均して九九〇キログラム以上の力が必要で、七〇〇キログラムでは骨折が発生した事例は少数であったとの外国における報告もあるが、我が国における大腿骨頸部骨折の発生機序に関する研究(甲第二一七号証)によれば、大腿骨頸部の内側骨折が生じるのは、骨頭への荷重方向が頸部軸にほぼ平行で、回旋力の働かない場合に限られ、強度の高い骨の場合でも、大腿骨頸部軸方向に力が加わる場合には約六四〇キログラムの荷重で骨折が生じるとされている。
(3) 本件脚力測定を行った際に大腿骨頸部に作用する力は、①大腿骨が中枢に向かって押す力、②踏板に向かって下腿が押す力の反力、③股関節を支える筋力の頸部軸方向のベクトル成分であるが、これらを計算すると、油圧計に示される値の1.2倍程度の力が大腿骨頸部にかかることとなる。
山梨大学工学部男子学生の本件器械による脚力測定の結果をみると、それぞれの年度における大腿骨頸部の軸方向にかかる力の最大値は、昭和四一年が五六三キログラム、昭和四二年が五八八キログラム、昭和四三年が五二七キログラム、昭和四四年が五三九キログラム、昭和四五年が五五一キログラムである。
右認定によれば、本件脚力測定において大腿骨頸部の軸方向にかかる力の最大値は、いずれも、安全係数を古澤鑑定が採用した約0.7として、これを前記研究における強度の高い大腿骨頸部に骨折を生じさせる荷重値(約六四〇キログラム)に乗じて算出される安全値約四四八キログラムを上回っている。
また、前記両鑑定においては、筋肉自体によって発生する力の大きさと方向は、不明であるとして考慮されていないところ、前記のとおり、自家筋力によって大腿骨頸部骨折が起きる場合もあり、本件脚力測定においては、被検者の最大努力時の筋力の大きさを測定するものであって、被検者は、力一杯踏板を押すことになることから、大腿骨頸部付近に一時的に爆発的な筋力が生じる可能性がある。したがって、原告自身は、それまでの測定(七回)において、右安全値を上回る大きさの力が生ずるに至る測定値を出していないが、大腿骨頸部に骨折を生じる危険性を否定することはできない。
(二) 証拠(甲二六の一及び二、二七の一及び二、一四七ないし一五二、一七九、乙三の一及び二、証人和田、原告本人(第一回)、被告楠本人)によれば、本件脚力測定は、定期健康診断の一環として、一般学生を対象として行われ、三、四年生に対しては希望者に対してのみ実施されていたもので、一、二年生はその受検が義務づけられていたこと、関節炎などを起こしている学生は、自分から申し出るようにと言われていたものの、右測定の可否を判断するために、脚の病変の検査をする等のことは特に行われていなかったこと、本件器械は、被告楠の研究目的で製作され、それまでの測定結果も同被告の研究報告に用いられていること等が認められるところ、本件脚力測定自体は、一般学生の健康状態の管理を目的とする健康診断において、必ずしも必要不可欠な検査であるとはいえない。
(三) 証拠(甲四七、四八の一及び二、六四の一ないし六、一七九、一九七、被告楠本人)によれば、アメリカ合衆国においては立位姿勢による脚力測定方法が普及しており、本件器械のような座位による脚力測定は一般化されていないこと、本件器械は、山梨大学のみで使用されている独特の器械であることが認められる。
(四) 証拠(甲二の四、二〇二、原告本人(第一回))によれば、広大病院の手術において、原告の大腿骨に病的所見が認められなかったことが認められるが、手術の際にも認められないような骨の強度の低下のために骨折が引き起こされたという可能性もないわけではない。しかしながら、前記(二)のとおり、本件脚力測定は、山梨大学の一般学生を対象とし、特に脚の病変の検査等は行われていなかったのであるから、被検者の大腿骨が脆弱化しているかどうかにかかわらず、測定は実施されることになる。
(五) 右(一)から(四)の事情に加え、前記認定のとおり、被告楠の指示に従い、通常の測定方法で本件脚力測定を行った原告に本件傷害が生じたことを併せ考慮すると、原告の左大腿骨頸部が脆弱化していたとか、原告が本件脚力測定の際指示に従わず異常な行動をした等の特段の事情が認められない本件においては、本件器械は、一般学生を対象とする脚力測定装置として通常有するべき安全性を欠いており、本件器械の設置及び管理に瑕疵があったというべきである。
四 不可抗力
本件事故が不可抗力によって生じたことを認めるに足りる証拠はない。
五 因果関係
前記認定事実によれば、本件事故は本件器械の設置及び管理の瑕疵によって生じたということができるが、原告主張の耳鼻咽喉科疾患及び胸部疾患については、本件事故との間の因果関係を認めるに足りる証拠がない。
六 損害
1 治療費 金三六万七八五八円
証拠(甲四の一、五の九、六の一ないし三及び五、七の一及び四ないし六、八の一ないし一六、九の一ないし一〇、一〇の一及び二、一七、原告本人(第一、二回))及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、本件傷害の治療のために、昭和四五年四月二八日から昭和四六年五月一五日までの間、広大病院に入院し、その治療費として合計金三二万九九七五円を支払った。さらに、原告は、退院後の昭和四六年六月二六日から、昭和四七年六月三日までの間に、本件傷害の治療のために五日通院し、入院初日の外来診療費と合わせ、治療費として金五三七三円を支払った。
(二) その後、大腿骨頸部骨折部分を固定するために使用されていた内副子の除去をするため、原告は、昭和四八年七月一二日から同月二五日までの間再び広大病院に入院し、入院費用金二万八二二〇円を支払った。さらに、原告は、右入院の前後、同年四月一二日から同年八月二日までの間に、同病院に四日通院し、治療費として金一二九〇円を支払った。
(三) また、原告は松葉杖代として金二三〇〇円、一本杖代として金七〇〇円を支出した。
2 交通費 金一〇万五三七〇円
証拠(甲一六の一ないし四、甲七三、原告本人(第一、二回))及び弁論の全趣旨によれば、原告は、甲府病院医師の勧めにより、実家に近い広大病院に転院するため、甲府病院から広大病院まで救急タクシーを使ったこと、入院中の外泊、歩行訓練、昭和四六年五月一五日の退院及び再入院時にタクシーを使用したこと、退院後甲府市に戻り、その後通院するために広島市と甲府市の間の鉄道運賃を支出したこと、昭和四八年七月二八日、同年八月一日、同月二日の三日間、実家から広大病院に通院し、その間の往復バス運賃を支出したことが認められる。
3 入院諸雑費 金一二万〇六〇〇円
証拠(甲八の一ないし一六、九の一ないし一〇、一〇の一及び二、原告本人(第一、二回))によれば、原告は、本件事故の当日、甲府病院に入院し、昭和四五年四月二七日に同病院を退院し、前記1で認定したとおり、広大病院に二回入院したもので、本件事故による本件傷害治療のための入院期間は、合計四〇二日となり、その間入院雑費として一日あたり金三〇〇円を要したと認めるのが相当である。
4 付添看護料 金六万一二〇〇円
証拠(甲八の一ないし一六、九の一ないし一〇、一〇の一及び二、七三、原告本人(第一、二回))によれば、昭和四五年四月二三日から同月二七日までの甲府病院における入院期間中、同月二四日、原告の母松宮千鶴子が甲府病院に赴き、同日から原告に付添っていたこと、同月二八日から昭和四六年五月一五日までの広大病院における入院期間中、原告は、広大病院で、昭和四五年五月一一日、本件傷害の手術を受け、手術後一か月程ギプスにより、脚部を固定されていたことが認められるところ、原告の右入院期間中、同年四月二四日から手術後右ギプスを使用していた一か月間は、付添看護を必要としたこと、また、昭和四八年七月一二日から同月二五日までの入院期間中は、内副子除去手術をした同月一六日から同月一八日までの三日間は付添看護を必要としたものと認められるが、各入院期間中その余の期間に着いて付添看護が必要であったことを認めるに足りる証拠はない。また、右付添看護費は、一日あたり金一二〇〇円と認めるのが相当である。
5 授業料 金六〇〇〇円
証拠(甲一九、原告本人(第一、二回))によれば、原告は、本件傷害の治療のため前記1のとおり、長期間の入院を余儀なくされ、その間、山梨大学に四年次前記分の授業料金六〇〇〇円を納めていながら、授業に出席できず、留年せざるをえなかったことが認められ、右金額は本件事故による損害と認められる。
6 逸失利益 金四六〇八万九八〇六円
証拠(甲二の三及び四、二四、二五、二〇一、二〇二、二〇三、原告本人(第一、二回))によれば、原告は、本件事故当時二二歳の健康な大学生で、本件事故の翌年に大学を卒業し、就職する予定であったもので、本件事故によって受傷しなければ、少なくとも原告と同じ年齢の大卒の男子の平均年収額と同額の収入を得られたはずであったこと、原告の本件傷害の症状は
(一) 二次性変形性股関節症及び左股関節不全強直
(二) 左下肢の短縮(約一センチメートル)
の後遺障害を残して固定したことが認められ、右事実によれば、原告は、右後遺障害のため、山梨大学卒業後の昭和四六年から原告が六七歳となる平成二六年までの稼働可能期間中、労働能力の三五パーセントを喪失したと認めるのが相当である。
そこで、昭和四六年から平成六年までの間について、当該各年の賃金構造基本統計調査報告書または賃金センサスにより産業計、企業規模計、男子労働者、旧大新大卒の年齢階層別の平均年間給与額に基づき、新ホフマン方式により逸失利益を算定すると、別表8のとおりとなる。
平成七年から平成二六年までの二〇年間について、平成六年の賃金センサスにより、産業計、企業規模計、男子労働者、旧大新大卒の四八歳から六七歳までの各年の平均年間給与額の和を二〇で除した平均額八九四万八六四〇円を基準にして新ホフマン方式により逸失利益を算出すると、金二二八二万一八〇六円となる。
(計算式)
894万8640円×(23.2307−15.9441)×0.35=2282万1806円(円未満切捨)
なお、原告は、各年の年収のほかに退職金も逸失利益に含めるべきである旨主張するが、退職金規定がある企業に在職する場合は格別、原告のような未就労者については、これを逸失利益に含めることは相当でない。
7 慰謝料 金七〇〇万円
(一) 本件傷害による慰謝料 金二〇〇万円
本件事故の原因、本件傷害の程度、治療経過、入通院期間、実通院日数等を考慮すると、本件傷害により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、金二〇〇万円が相当である。
(二) 後遺障害による慰謝料 金五〇〇万円
原告は、本件傷害により、前記6のとおりの後遺障害を残しており、本件事故後の就職等への影響や日常生活への支障等を考慮すると、本件事故による後遺障害のために原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、金五〇〇万円が相当である。
8 弁護士費用 金五〇〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告は被告国から任意の弁済を受けられないため、本訴を提起し、弁護士を訴訟代理人に委任し、原告主張の報酬の支払いを約したことが認められるところ、本件訴訟の審理経過、事案の性質、認容額等を考慮すると、弁護士費用は金五〇〇万円が相当である。
9 その余の損害
原告の主張するその余の損害は、本件事故との間に相当因果関係があるとは認められない。
七 以上によれば、本訴請求は、被告国に対し金五八七五万〇八三四円及びこれに対する昭和四五年四月二三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由がある。
(裁判長裁判官生田瑞穂 裁判官久保雅文 裁判官髙取真理子)
別表
1 治療費明細
合計 六七万一七九五円
一 本件傷害関係(耳鼻咽喉科疾患関係分を含む)
三七万七〇〇九円
広大病院分
1 初期入・通院分
三四万一五六四円
2 松葉杖代
二三〇〇円
3 一本杖代
七〇〇円
4 内副子除去のための再入・通院分
三万二四四四円
二 胸部疾患関係
二九万四七八六円
1 竹居医院分
一四八〇円
2 甲府病院分
八万三六一一円
3 吉島病院分
二〇万四五五五円
4 広島市民病院分
六七万一七九五円
別表
2 入・通院交通費明細
一 本件傷害関係
一四万九九七〇円
1 初期入院分
一〇万五五七〇円
(一) 甲府病院から広大病院への転院タクシー代(昭和四五年四月二八日)
八万二八五〇円
(二) 広大病院入院中の外泊タクシー代(昭和四五年年末、同四六年年始)
一一〇〇円
(三) 広大病院退院前一週間の歩行訓練のためのタクシー代及びバス代
四四一〇円
(四) 広大病院退院タクシー代
五五〇円
(五) 広島から甲府へ帰るための国鉄料金(昭和四六年五月一七日)
四一八〇円
(六) 甲府から広大病院への通院往復国鉄料金及びタクシー代(昭和四六年六月二五日から同月二七日まで)
一万二四八〇円
2 再入院分
一八〇〇円
(一) 広大病院入退院タクシー代
一二〇〇円
(二) 広大病院通院バス代(三日間)
六〇〇円
3 その後の通院治療分
四万二六〇〇円
甲府から広大病院通院国鉄料金(昭和五二年五月から六月までの間二回)
二 胸部疾患治療関係
九九九〇円
1 甲府病院から広大病院転院のための国鉄料金(昭和四七年五月二四日)
四八〇〇円
2 広大病院経由吉島病院入院タクシー代(昭和四七年五月二五日)
一〇〇〇円
3 吉島病院入院中外泊のためのバス代
七八〇円
4 吉島病院退院タクシー代(昭和四七年一二月三〇日)
五五〇円
5 広島市民病院通院バス代
二七六〇円
6 甲府病院通院交通費(ホンダカブガソリン代)
一〇〇円
総計 一五万九九六〇円
別表
3 病院外治療費明細
一 薬
合計 二万六二〇〇円
昭和四六年七月一九日
五〇〇〇円
同年八月二〇日
三七〇〇円
同年八月二五日
二五〇〇円
同年九月一日
二五〇〇円
同年一〇月八日
二五〇〇円
同年一一月
五〇〇〇円
同年一二月
五〇〇〇円
二 温泉治療費
合計 九七九三円
昭和四六年五月二〇日湯村温泉
四五四三円
同月二三日 石和温泉
一五四〇円
同月二六日 緑が丘温泉
一〇四〇円
同月二八日 同
五七〇円
同月三〇日 同
五六〇円
同月三日 同
二〇〇円
同月六日 同
二〇〇円
同月七日 同
二九〇円
同月八日 同
二〇〇円
同月一〇日 同
三一〇円
別表
4 医師等謝礼明細
一 本件傷害関係
二万五八八八円
1 昭和四五年四月二五日
甲府病院医師
二八〇〇円
2 同年五月二五日
広大病院医師
四八〇〇円
3 同月二五日
同病院医師
六六九〇円
4 同年六月九日
同病院医師
二五五八円
5 同年九月二〇日
同病院医師
二〇〇〇円
6 同月二一日
同病院医師
二四〇〇円
7 昭和四六年五月四日
同病院医師
一〇〇〇円
8 昭和四八年七月一四日
同病院医師
三六四〇円
二 胸部疾患関係
九八〇〇円
1 昭和四七年五月三日
甲府病院医師
四〇〇〇円
2 同年一二月一四日
吉島病院医師及び看護婦
五八〇〇円
別表
5 付添人交通費明細
一 入院付添のための交通費
四万〇〇八〇円
1 本件傷害関係
三万九〇〇円
(一) 甲府病院分
付添いのため同病院来院のための国鉄費用(昭和四五年四月二四日)
四三〇〇円
(二) 広大病院分
(1) 初期入院期間(昭和四五年四月二八日から昭和四六年五月一五日まで)中の付添交通費として少なくとも二一〇日間の自宅、同病院の往復バス代
二万五二〇〇円
(2) 再入院期間(昭和四八年七月一二日から同月二五日まで)中の付添交通費として七日間の自宅、同病院の往復バス代
一四〇〇円
2 胸部疾患関係
九一八〇円
付添のため甲府病院来院のための往復国鉄料金(昭和四七年三月一四日)
二 介護付添の交通費
四万二四四〇円
1 本件傷害関係
二万〇〇二〇円
(一) 退院後、広島から甲府への帰路付添のための往復国鉄料金(昭和四六年五月一七日及び同年一〇月二五日)
八六四〇円
(二) 甲府から広大病院通院のため往復国鉄料金(昭和四六年六月二五日及び同月二七日)
一万一三八〇円
2 胸部疾患関係
二万二四二〇円
甲府病院から広大病院へ転院付添のための往復国鉄料金二名分(昭和四七年五月二二日及び同月二四日)
総計 八万二五二〇円
別表
6
一 診断書交付料金
三六〇円
昭和四七年五月二五日
一六〇円
同年九月一二日
二〇〇円
二 電話料金
六三五四円
昭和四五年五月四日
一〇〇〇円
同月八日
五〇〇円
同年九月二四日
四五三六円
同日
六六円
三 郵便料金
一六七五円
昭和四五年五月二四日
一三五円
同年五月から九月まで
一一四〇円
昭和四六年四月一五日
一二五円
同年五月一一日
一二五円
昭和四七年六月一日
一五〇円
総計 金八三八九円